スポンサーサイト
新しい記事を書く事で広告が消せます。
僕にも経験がある。
しつけと言いながら、子供に手をあげたことがある。
悪いことをすれば、親として子供たちを叱る。
この叱り方に問題がある。
僕自身が何かしらの原因でイライラとしている時に、子供が悪さをすると、カッとなって怒鳴る。叱るのではなく、怒鳴っている。
怒鳴ったという行動から、さらにイライラが増し、時として、手を上げてしまうことがある。
頭をパシッと叩く程度だが、子供にとっては痛い。
自分の心理状態で、子供たちの叱り方が変わる。
「子供のために」という大義名分の下に、親である僕らは子供たちを叱り、怒鳴る。
多くは、子供たちの行動に腹を立てて、叱り、怒鳴ることが多い。これは教育ではなく、ただ腹が立ったから、子供を怒鳴るだけの愚かな行為だ。
もちろん、この行為は虐待ではない。
「ルポ児童虐待」を読んで、子供を愛しているのに、手を上げる親もいる。
自分の子供が憎くて、手を上げ、虐待に走る親ももちろんいる。
確かに、虐待した親たちは、犯罪者で責められるべきかもしれないが、それだけが本質ではない。加害者である親の責任ひとつで虐待がなくなるはずはない。
小さな幼子を抱いた弱い親たちがいる。
社会は、そんな親を捨てずに見守り支援していくことが出来るシステムがあれば、虐待は少なくなるはずだ。
少数化問題で、これから日本はどうしようかと思っているなら、子供たちを守り、安心できる社会にならなければ、日本は成熟していかない。
子供だけじゃなくて、子供を生み育てる親にも安心して生活できる環境を政府は提供すべきだ。
そのための環境づくりが。来年4月から実施される消費税率8パーセントならいいんだが…。
高齢者問題よりも、もっと今の若者、子供たちを支援する政策であって欲しい。