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教育を受ける義務と権利



勉強をしない子供たち?

内田樹さんの「下流志向」を読んで、義務教育は、子供たちに「教育を受ける義務がある」のではなく、「教育を受ける権利がある」ということに「あっ!」という驚きを感じた。




僕には子供がふたりいる。ひとりは今年、小学1年生になり、勉強という習慣を身につけさせるために、毎朝10分程度勉強をさせている。

それはなぜか?

いつの頃か、子供たちが僕たち親に「どうして勉強をしなくちゃいけないの?」なんて質問を受けさせないようしている。僕も妻も誰もこの質問に答えられない。
だから、子供たちに勉強をする癖を身につけさせて、勉強をすることに疑問を持たないようにさせている。



で、「教育を受けると言うことは権利であり、義務ではない。」と言うことはどういうことだ?

親は子供たちを教育を受けさせる義務を持っているのであって、当の子供たちは教育を受ける権利を持っている。ということは、子供たちは教育を受ける義務を持っていないから、教育を受けないという権利もある。
今の子供たち(僕の娘たちも)は、権利というモノを小学生にあがる前から身を持って体験・経験をしているので、権利を行使する術を身につけている。



それはどうしてか? 

娘たちは、勉強・教育を受ける前に、消費社会の一員として取り込まれている。
長女が4歳になったときに、近所のスーパーへ牛乳を買いに行かせた。道に少し迷いながらも、お金を払って牛乳を買ってきたわけだ。
ここで素直に、「良くできた娘だ。誉めたやろう!」なんて、親バカな僕たちは、娘の行動に手をたたいて喜んだ。

で、娘はお金を払えば、牛乳が手にはいることを学んだ。
大人の店員さんが、4歳の娘に対して、「ありがとうございます。165円になります。」、と言い、お金を受け取り、牛乳を娘に渡したのだろう。
ここで、4歳の娘は「お金と牛乳を等価交換出来た」という事実を知る。



この点が、勉強しない子供たちが生まれた原因であると内田樹さんは言っている。
子供たちは、教育を受ける前に、等価交換ということを身を持って体験した子供が、等価交換にならない「教育」というモノを体験したがるのか。




すぐに結果・成果を求めるものではない。

教育を受けたからといって、すぐに成果が出るもんじゃないということ。
社会人になった僕らは、やったこと・やることに対して、結果・成果を要求する。資格試験も成果を手に入れるためにやるもんだ。(資格を手に入れたから、お金に結びつくこととは別。)
社会は結果・成果がすべてだと言わんばかりだ。

でも、教育を受け、勉強したからといって、数年後になんらかの結果・成果が目に見えて出るもんじゃない。
数値に表れるモノを手に入れるために、子供たちは教育を受けて、勉強をするのではなく、山とも海とも言えない将来に向けて、どうにか生きるために知識、技術を身につけるために、教育を受け、勉強をしていく。










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